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光る先見の眼 数量刑法学

光クラブ事件は、当時東大生だった山崎晃嗣が1948年に設立した闇金融会社「光クラブ」で大儲けしたが、1年もたたずに逮捕され自殺したという劇場型犯罪の代名詞的なものだ。
東大生が闇金業で儲け世間を騒がせるというのはいかにも大衆が好むことだ。勉強の苦手な大半の庶民の好物は金、女の類であり、そこにエリートの転落というおまけがつけばこれほど愉快なことはないのだろう。

しかし、山崎は真理探究のみを目指し、数量刑法学なる壮大な学問を築くことに全精力を注ぎ込んでいたことはあまり知られていない。

そこからは、山崎は生まれたところが悪く、それゆえ進路を間違い、苦悩の果てに自爆した様子が窺える。

山崎晃嗣は千葉県木更津市に末弟の五男として生まれる。父は医師で木更津市の市長を務めたこともある人物だ。父の兄弟は3人いていずれも医師、医学博士でありその末弟に至っては医師でもあり弁護士界の長老的存在だったという。ちなみに長女は日本放送協会技師長に嫁ぎその息子は日本電々公社総裁。
母は音楽家で3人の兄弟はいずれも医師になっているが、父からすれば子供たちは一高(日本近代国家建設のためのエリート校)から東大医学部に入って医学部の教授にならねばならない存在だったという。しかし、兄たちは一高には入れず、勉強もできた晃嗣は一番期待され、遊ぶことも知らずこわれもののように大事に扱われたという。

絵に描いたような試験秀才一家のサラブレットとして生まれた晃嗣だが、一高に合格はするものの、兄たちからは嫉妬されそれなりに仕打ちを受けていたようだ。また、理系が肌に合わなかったのか東大の法学部に進んだことを父からは痛烈に否定されている。

東大生時代は学徒出陣で軍隊入りしているのだが、ここではトラウマにならないはずもない仕打ちを受けている。一つは親友を上官の悪質な制裁で亡くしてしまった際の責任逃れのために、急患として病院に遺体を運ばされ、遺族には嘘の連絡を命じられたこと。二つ目は物資横領横流しの件で上官が食料品や衣類を抱えて故郷に帰ってしまったにも関わらず、三カ月間一人で拘留され極寒の独房の中ひどい仕打ちを受けたこと。この時、上官の名前を決して明かさなかったという。

その後、東大に復学し光クラブを設立し自殺することになる。

私は天才であり超人である―光クラブ社長山崎晃嗣の手記 (1949年)私は天才であり超人である―光クラブ社長山崎晃嗣の手記 (1949年)
(1949)
山崎 晃嗣

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かなり挑発的なタイトルの本だがその内容は山崎の書いた日記により構成されていて、真理を求めるだけの聖人君子が本来の自分の姿だと確信しつつそれを目指し努力しているにもかかわらず実現できずにそのギャップに苦しむ様が収録されていると言える。

山崎は自らの一日の計画をきめ細かに立てていた。それは一目見るだけで何かに囚われている様が分かるものだ。「○」「△」「①」「⑥」などの記号用いて有益な時間とそうでない時間などを徹底的に自己チェックしている。これは自らの本来の姿である合理的な人間に近づくために自ら課したものだが、「△」は情交射精の時間など無意味なものでありこれを省みた時には凄まじい自己嫌悪に陥ったと推測される。

P八一、第二部の秋の努力以降は。「死に学問より生き学問へ」「生き学問への一歩」「真理へ。真理へ。」「天才の自覚」「反省」などの非常に重苦しいタイトルの日記で、真理の探究を目指しつつもそれが実現できずに苦しむ様がより具体的に残されている。
P一〇二「天才の自覚」では量刑学の偉大さとその真理を探究する自分は天才でありそれゆえ自分は幸福だと語っている。また、自ら努力して学問するのは秀才ではあっても天才ではないと真理探究を自然な形で実現する人間像に執着する様子が残されている。
P一二二「反省」では性的堕落、五目並べ、喫煙など真理への熱が消散してしまったかのような無駄な一時期を省みて、私は真理探究者であらねばならないと自らを戒めている。

量刑学とは数量刑法学のことで、山崎は一高時代からこの学問を確立するという壮大な野心があった。この学問は簡単に言えば、人間の感情論を無視して、人間の悲しみや怒りなどの感情を論理的に数値化して裁判を行うというものだ。
もちろん、実現には至っていないが、検察、裁判所、国会、警察の迷走ぶりや、脳科学が発展した現在では神経経済学などの人の欲望をコントロールするかのような学問も出てきていることを考えると、山崎の数量刑法学は完全な机上な空論とは言えない。むしろ、人間の感情論や欲望の追及の限界を見事に予知していたとも言えるのではないか。

軍隊入りの出来事が山崎にとってショッキングだったことは確かだが、その前から屈折していると見ることができる。

一高時代に同じ部屋で寝起きした友人の高橋康之の証言によれば、「一高時代、寮で同じ部屋に寝起きしたこともあるが身の上話とか、打明け話など、一度も聞いたことがない。これは高等学校では考えられないことだ」、「理屈好きで、法律が好きというのも、法律体系の論理を愉しむというところにあったようだ。例えば、窓の下を人が歩いている。そこへ誰かを落して、人が死んだ場合、落そうという意思があったか、どうか、いろいろな場合を考え、分析し尽したのち、黒白をはつきりさせるというのを好む風だ。光クラブをやる前に株をやった。『株なんてものはカンだと皆いう。僕はそんなものじゃないと思う。合理的にやれば、必ず儲かるものだ』という極めて合理主義的な、ものの考え方を抱いていた」、「別に金に執着があるわけではない。儲けることそのものに、快感を感じていたわけでもない。彼は自分の合理主義を実証したかつただけ」。

山崎の家庭には試験勉強という形式的な勉強の環境はあっても、山崎の才能を育むための環境が存在しなかったのだろう。

また、東大法学部に復学してからの高橋の体験もすごい。「彼と一緒に電車に乗つていたとき、人が轢かれた。乗客はみな、動揺して、口々に『気の毒だ』と言い合つた。山崎は、そのとき、無表情だつた。あとで、彼は『ぼくは別に轢かれた男に、同情などしてない。それより、人間が飛びこむとき、どんな形で、飛びこむのかみるのに興味を感じた』」

そして、山崎はすべての科目で優をとってみようと試みたが教授の嗜好、気まぐれに左右されるような成績に全生活をかけるのが馬鹿らしくなったという。

こうみていくと、派手派手しい山崎と光クラブを生み出した原点は少年時代を過ごした家庭そのものだ。医学部に入り医者になることが富と名誉の最短にあることは、今も昔も同じことのようだ。だから、それが一つの原因となり、こうした悲劇が繰り返される。生まれながらの理系人間なのか、理系だか文系だかわからないタイプなのかは定かではないが、子供の特性を無視し、限定された進路における試験突破のためだけの勉強の日々になんら意味はない。なお、当時は理工系人間は学徒出陣がなかったこともあるし、なにより論理的で学者肌の人間であることが明白なのだからお世辞にも法学部が適切な進路だったとは言えない。法学は論理とは無縁にならざるをえないことが多々存在するものだからだ。

親が生まれながらの特性を尊重し、自然に自由に育む家庭環境があれば、もしかしたら良い方向に歴史的業績を残していたかもしれないし、それなりにどこにでも存在する普通の研究者になっていたかもしれない。後者であれば一般人にはほとんど誰にも知られることなく人生を終えることになるが、それが意外にも山崎にとって最も幸せなことだったかもしれない。

少なくとも、歴史的な犯罪者などになるはずもない。

参考資料真説 光クラブ事件 ―東大生はなぜヤミ金融屋になったのか―
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.26 2010   光クラブ事件 comment0 trackback0
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藤家孟志(ふじいえたけし)

Author:藤家孟志(ふじいえたけし)
アスペルガー問題を研究している一般の男です。

この研究を基に、アスペルガーの世界に迷い込んでしまった人を一人でも多く普通の世界に連れ戻すことができたら幸いです。

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