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宗教という幻想

神、妖怪、霊、悪魔、前世、天国地獄の類はみな人間による想像の産物であり現実世界には存在しない。宗教が人を本当に幸せにするなら、健康トラブルも金銭トラブルも女、子供を皆殺しにしてしまう宗教戦争も起きないはずだ。宗教で幸せになれるなら苦労はない。

神は妄想である―宗教との決別神は妄想である―宗教との決別
(2007/05/25)
リチャード・ドーキンス

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実在するのは科学とそれを追い求めるために生まれてくる天才である。そして、それを認めず妄想に逃げ、苦悩することになる普通の人々である。

宗教に代表される非科学に大多数の人間が傾きがちなのは、そちらの方が楽だからだ。現実は厳しく苦しい。ならば、現実には存在しない突飛な何かを選んで生きた方が楽しい。

しかし、宗教を新たに起こすような者の中には天才と認めないわけにはいかない者も多いから難しい。つまり、本来なら科学の世界で活躍するために生まれてきたにも関わらず、非科学の最高峰である宗教を創始することにその才能を発揮せざるをえない不条理がこの世の中には存在するわけだ。現実はそれほどまでに残酷で厳しいということだろうか。

宗教は数多く存在するが、世界救世教とオウム真理教という二つの宗教の教祖の生い立ちをみていきたい。

世界救世教 岡田茂吉 企画行動力の秘密世界救世教 岡田茂吉 企画行動力の秘密
(1986/04)
小出 進

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世界救世教は、手をかざし霊を浄め幸福を生む方法とされる「浄霊」と美術館のMOAでそれなりに有名。もっとも、現在は分派も多く健康トラブルや金銭トラブルも多いようだ。

世界救世教の創始者の岡田茂吉は美術、事業、教育など多彩な才能を発揮する才人であった。しかし、その才能を発揮することをことごとく否定され続けた人物でもある。これほどの苦痛と絶望は無い。それでも、屈折し犯罪に手を染めることなく、例え宗教という形であっても教育者的役割を果たし、今をもってしても有用な教訓を残せたのは親、家族の愛情に恵まれたということに尽きる。

岡田茂吉が生まれたのは東京浅草。1882年12月のことである。生まれた頃の岡田家は貧乏の極致とも言えるもので母親が栄養失調で母乳が出ないため、それを近所の寺の女性に委託するような有様だった。また、茂吉は生まれながらに病弱体質であり、それをよく友達にからかわれた。しかし、両親が夜遅くなっても帰ってこない五歳の茂吉を心配して探してみると寺で絵本を読んでいたいう話が残るほど絵画の才に恵まれ、学校の成績もよかった。

その後、画家になろうと美術学校進学を目指すが、進学の際には姉が必死に働き教育費を工面した。両親の茂吉に対する期待も大きかった。茂吉が恵まれたのは才能だけではなくそれを尊重する家族だ。家族の協力を得て東京芸術大学の前身である東京美術学校へ入学する。
しかし、家族に迷惑をかけまいと毎朝早く起きて弁当を作り、胸を弾ませながら学校へ通った茂吉の幸せを奪い去ったのは病魔である。しかも、画家の生命線とも言うべき目の悪質な病気である。
通学を諦めざるを得なかった茂吉はその後も助膜炎にかかり、医学生の実験台になる代わりに治療費を免除してもらい入院する。しかし、病状は悪化し治療の見込みのない肺結核と医者に診断されるに至る。ここでも両親の愛情に恵まれた茂吉はその家族のことを思うとこのまま死ぬわけにはいかないと奮起し、薬草の本を読み漁り、菜食主義に切り替え快方へと向かう。一命を取り留めたとはいえ、病弱な体質は変わらず徴兵検査の際には「クズのからだ」と裁定される有様だった。しかし、ここでも家族は茂吉を見捨てず、「お前にはお前の進む道があるはずだ」と励ました。ところが、姉が急性肺炎で29歳の若さで急逝する。
このころ、茂吉は美術品を収集し骨董店を持とうと奮起し、才能を発揮するのだが、視力が回復していない茂吉は右手人差し指の筋を切断してしまう。蒔絵師の夢も断念するしかなかった。しかも、最大の理解者の父までもが心臓病で亡くなってしまう。
その後、小間物商として独立し、持ち前の誠実さを活かし事業家として成功し結婚もしているが、またも不幸が茂吉を襲う。第一次世界大戦の終結で株が暴落し多額の借金を抱え、さらに妻が出産間近に腸チフスに罹り、難産の末、嬰児と共に死亡してしまう。再興を目指し再婚したもつかの間、今度は関東大震災で事業は大打撃を受け、一歳九ヵ月の長男も震災後に流行した疫痢にかかり死んでしまう。

茂吉は目先の短期的利益に飛びついていては最終的には損をすることを自覚し、自分の頭で考え、真面目、正直、誠実を貫き、それを人に諭し続けた大物だった。これほど忍耐力を要することもない。

しかし、才能には恵まれたものの、常にその才能を発揮することを拒否され続けるという作り話のような人生を送ってきた茂吉は、その後、ついに本格的な宗教の力を借りるようになっていくというわけだ。

家族に理解されながらも宗教の世界に入り込んでしまった岡田茂吉とは対照的に家族に理解されるどころではなかった宗教家が存在する。

もはや知らぬ者は存在しないであろうオウム真理教の教祖・麻原彰晃である。

麻原彰晃の誕生 (文春新書)麻原彰晃の誕生 (文春新書)
(2006/02/20)
高山 文彦

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麻原が生まれたのは1955年、熊本県のとある村。借家の小さな家に9人兄弟の七番目に生まれた。絵に描いたような貧乏家庭だった。
麻原は生まれながらに左目がほとんど見えず、右目は1,0近くの視力があったが先天性緑内障と視野狭窄症が認められていた。このこともあり、麻原は普通の小学校をわずか半年ほどでやめて盲学校に入っている。
麻原は幼少時代から正義感が強く自尊心も高かった。運動能力、読み書き計算能力が高かったことから、幼稚園が退屈であり露骨に嫌がるタイプだった。
先天的な才能が父親や長兄のカンに障ったのかどうかは分からないが、麻原より目の悪い長兄と共に猛抵抗する麻原も盲学校に入れることになったわけだが、極貧の麻原家は盲学校の子の家庭には国からの補助金が適用されることを知っていたという。
盲学校に入った麻原だが、休みの日にたった一人寄宿舎に取り残された。麻原の親だけは迎えに来なかったからだ。成長期にもかかわらず新しい服を買ってもらうこともなく、他の家の上級生のおさがりを着ていたという。また、麻原の将来のために貯えておくはずの就学奨励金を麻原の両親が家に送ってほしいと学校に頼んだこともあったという。

麻原は成人後、「親に捨てられた。父親に泥棒に仕立て上げられこてんぱんに殴られた」と泣きながら当時を振り返っている。真偽のほどは定かではないが、麻原は家族を恨み、捨てられたという意識を抱いていることは確かである。本当に親が子供に真っ当に接していれば、どんな子供でもこのような意識を持つことはなかろう。

能力も高く、目が見えていた麻原は目の見えない子供のためのカリキュラムでは到底満足できず授業が退屈だった。さらに同じ学校にいた目の見えない長兄に手足のようにこき使われたという。
五年生になり児童会長選挙に立候補した麻原は同級生や下級生を集めてお菓子を配ったが当然落選する。このとき、不正を先生に諭された麻原は「ぼくには人徳がなか」とつぶやいたという。普通の小学五年生は「人徳」という言葉を使わないのでこれも麻原の能力を示していると言える。
これをきっかけに「走れメロス」などを目の見えない生徒達に読んで聞かせるようになったが、そこでも、生徒の気持ちより自分がいかに感動しているかという気持ちをわからせようという気持ちの方が強かった。また、ショーをやるといって西城秀樹などの歌手の歌を絶叫して寄宿生に見せつけていたという。
当時の教師達は朝原を振り返り「社会に協力してやっていこうという気持ちがなく、社会の常識が自分の敵で、自分のためにまわりを利用して人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強くあった」と語っている。

麻原の歪んだ人生はこの時点で決まっていたと言える。その後も弱い立場の者を怪しい餌で釣り上げ、自分のために利用し続ける人生を歩み続けることになる。以後、前代未聞の事件を起こし、弟子たちが死刑を受け入れたにもかかわらず自分だけは助かろうとし続ける現在の麻原に至るまで全く成長することはなかった。

高い能力を持って生まれてきたが、本人がいくらそれを活かそうと努力しても、親によって強制的に堕落させられた者には才能の開花は許されない。これほどの屈辱はこの世に存在しない。また、先天的能力が高い分その屈辱感はその分増加することを忘れてはいけない。

世界救世教の岡田茂吉とオウム真理教の麻原彰晃。宗教という幻想世界の長という枠組みは同じだが、茂吉の才能の開花を阻んだのは病魔、自然災害、時代の趨勢であり、麻原は親、家族に阻まれた。結果には必ずそれ相応の原因があるのだ。どんな人物だろうと、その者の人生を決めるのはその親、家族である。

最後に宗教、狂気と天才を考える上で絶好の映画があるので紹介したい。

セブン [DVD]セブン [DVD]
(2010/12/22)
ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン 他

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冷静で世を悲観しているベテラン刑事をモーガン・フリーマン、血気盛んな新人刑事をブラッド・ピッド(その妻役も有名な女優)、異常犯罪者をケビン・スペイシーが演じているがこれほど豪華な出演者ではなくとも、無名な俳優で十分楽しめるであろう大ヒット映画。

「七つの大罪」は直接聖書に載っているわけではないが、中世最大の哲学者と言われるトマス・アクィナスが説教の道具として使用していたもの。そのものが罪ではなく、人に罪を犯させる可能性のある欲望、感情(大食・強欲・怠惰・色欲・傲慢・憤怒・嫉妬)を七つの大罪とした。

この映画は、大食漢には死ぬほどの量のスパゲティを喰わせ、金を稼ぎまくる弁護士には自身の肉をきっちり切らせるというふうに、これらの欲に溺れた七人の人間をその罪を咎める形で殺害していくという連続殺人事件の話。
残虐シーンの連発だが、単なるホラー映画やサスペンス映画ではない。犯罪、殺人になんらかの主張を織り込むことは現実の世界はもとより、作り話の世界でもなかなかお目にかかれない。

犯人は人々の堕落に怒り、キリスト教の七つの大罪をモチーフにした凶悪犯罪を通して、人々に強制的にそれを悔い改めさせようと画策したわけだ。

物語途中、ブラピ演じる若手刑事が犯人に切れてしまうシーンが何回か出てくるが、モーガンフリーマン演じるベテラン刑事が実に老獪に諭す。

「犯人は薄らバカじゃなく、入念で綿密で何より我慢強い。もし捕まえたジョン・ドゥ(犯人)が本物の悪魔だったらお前も納得するだろ。だが悪魔じゃない、奴も人間だ。俺はもう無関心が美徳であるような世の中はうんざりだ。俺にも十分、分かる。無関心が一番の解決だ。人生に立ち向かうより麻薬に溺れる方がラクだ。稼ぐより盗む方がラクだ。子も育てるより殴る方がたやすい。愛は努力が要る。」

この映画の犯人を宗教異常犯罪者であると一蹴するのは容易いがそうでないと認めるのは非常に難しい。なぜなら、宗教家、犯罪者が自分より格上、すなわち天才であると認めることになるからだ。逆説的かもしれないが宗教犯罪という形であっても、人々がその主張を認めることができなければ世に蔓延する不条理、宗教も犯罪も一向になくならないのだ。これは犯人に負けることを意味する。
 
世の中には様々な不条理が存在しているのが現実だが、そんなことは仕方がないで済む人間とそうでない人間がいる。そうでない人間は天才か狂人になる。そして、二者択一だから社会問題になり、それは宗教では決して解決しない
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.27 2010  宗教 comment0 trackback0
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プロフィール

藤家孟志(ふじいえたけし)

Author:藤家孟志(ふじいえたけし)
アスペルガー問題を研究している一般の男です。

この研究を基に、アスペルガーの世界に迷い込んでしまった人を一人でも多く普通の世界に連れ戻すことができたら幸いです。

何かありましたら  fuzietake@gmail.com  までよろしくです。

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