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アスペルガー

自閉症には大きく分けて、知能が正常またはそれ以上のアスペルガータイプと、知能が低いカナータイプの2種類あるが、その始まりは1943年米国の精神科医レオ・カナーが

一、情緒的交流が欠落している
二、同じ状態を続けていたいという、同一性保持の強い欲求を持つ。
三、特定の対象物への固着
四、ことばの発達の遅れ
五、時に、記憶や計算、芸術、などの特定の領域で並外れた才能を発揮する

という共通した特徴を持った11人の子供に対して「早期幼児自閉症」と報告したのが最初とされる。

それからわずか一年後、彼とは全く独立して、オーストリアのウィーンでアスペルガーという名の小児科医の元に、運動神経が乏しく六歳にして大人のような話しっぷりをするフリッツという少年が親と共に訪れた。そこからカナーとは違うタイプの自閉症が生まれた。(天才はなぜ生まれるか・正高信男)

しかし、その後、自閉症という言葉は様々な誤解を生み、非常に分かりにくいアスペルガータイプの自閉症が注目されたのは最近の話である。

もっとも、アスペルガーに代表されるこれらの精神医学用語を真に受けてはいけない。
孤独に知的活動を行っていれば独り言を呟いたり、時には危険な発言の一つや二つは当たり前である。退屈な授業を抜け出ることもあるだろうし、高度な思考ゆえに逆に単純なことにつまづくことだってありえる。これを汚言症、チックなどと言ったり、注意欠陥多動性障害だ行動障害だ、やれ学習障害だなどというのは天才を完全に否定したものと言わざるをえない。

ただ、天才の明確な定義など存在しないから結局は周囲の者が目検討で決めるしかない。だから、大方の予想通り、判定人となる者の利害関係に大きく左右され、安易な方向に流れやすいのが現実だ。

それでも、「天才」と「アスペルガー」という二つの言葉にどのような違いがあり、彼らがどのような人種でどんな特徴を持っているのか、できるかぎり探っていきたい。

相棒 season 6 DVD-BOX 1(5枚組)相棒 season 6 DVD-BOX 1(5枚組)
(2008/12/10)
水谷豊、寺脇康文 他

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「相棒」は東大法学部卒ながらも警視庁特命係という窓際部署に在籍する変人警部の杉下右京(水谷豊)が事件を解決していく社会派サスペンス。その凝った脚本、現代社会を反映する社会性、脇役達のキャラ設定、そして杉下右京の強烈な個性などが受け、テレビ朝日が誇る屈指の高視聴率番組へと成長し現在では10シーズン目に突入している。毎回起こる事件は基本的には独立したものだが、連続ドラマのような特性が存在するのも魅力の一つだ。

そのシーズン6の第一話「複眼の法廷」は今となっては懐かしい亀山君(寺脇康文)が相棒を務め、裁判員制度を題材としたかなり内容の濃い複雑なものとなっている。
相変わらず天才的な洞察力で真犯人を導き出したにもかかわらず、杉下右京はその過程において、正義と名高く裁判員制度を快く思っていない三雲判事の情報漏洩疑惑に執着する。そして、ラストシーンを見逃すわけにはいかない。

杉下右京「証拠は必ず掴みます。」

小野田官房長「もうこのへんでいいんじゃないかしら。」

杉下右京
真実の追及にそのへんでいいということはないと思いますが。」

小野田官房長「お前のそういうとこ、立派だと思うけど・・・」

相棒 season 6 DVD-BOX 2(6枚組)相棒 season 6 DVD-BOX 2(6枚組)
(2008/12/10)
水谷豊、寺脇康文 他

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そして、シーズン6最終回「黙示録」は死刑の冤罪をテーマとしたまたもや重い内容だが、再び三雲判事が登場し杉下右京に第一話における漏洩疑惑に関して自白させられ裁判官を辞めさせられることとなった。しかも、裁判官なら自らの罪に対して自ら罰を決めろということで違法令状を書かされるという形で。

エンディングにおける小野田官房長官と何も知らない亀山君の会話が印象的だ。

小野田官房長「三雲判事はね、辞めるんではなく辞めさせられるの。違法な令状をゴリ押ししたから・・・あれ?亀山君は何も知らなかったの?相棒なのにねぇ。杉下の正義は時に暴走するよ・・・・」

三雲判事はシーズン6の影の主役であり、杉下右京の狂気とも言える執着心自体がこのシリーズのコンセプトと言えるだろう。

とりわけ日本社会で生きていくためには、間違っていることだと思っても見て見ぬふりをする能力が必要だ。しかし、そのような人間ばかりでは世の中が成立するわけはない。
生きている人間の心肺が、今日は疲れたからちょっとだけ休憩しようなどということにはならない。自転車は漕ぎ続けなければ倒れてしまう。それと同じように、天才という種族は途切れることなく何かに囚われていないと生きていけないものなのだ。

普通の人にとってはどうでもいいこと、途中で諦めてしまうようなことに情熱を注ぎ続けることができる人間を天才の一つの定義とすることができよう。

相棒 Season8 DVD-BOX1相棒 Season8 DVD-BOX1
(2010/10/20)
水谷豊、及川光博 他

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シーズン8では警察庁の超エリートの神戸尊(及川光博)がわけあって杉下右京の新しい相棒として特命係に配属される。その立場に戸惑い、杉下右京に振り回されながらも、その人物像を日々観察している様子が随所に描かれている。その第4話「錯覚の殺人」では事件解決後、神戸尊が杉下右京に関するレポートをこう書いている。

「報告。観察の結果、杉下右京の洞察力ならびに真相の看破に至る推理力が卓越していることを再確認。しかし、その性格や嗜好、行動原理、何より、その着想の原点に何があるのかは不明。彼の目には常人には見えないものが見えているのか?」
しかし、直後に杉下右京を回想して「彼の目には常人には見えないものが見えているのか?」の部分を削除し、「杉下右京、依然として、謎多し。」とまとめてしまう。

この話の中で神戸尊は犯人を証拠をつかもうとするあまり勇み足をしてしまうのであるが、それでも生まれながらの才能の違いを認めることは決して容易なことではないことが窺える。

相棒 Season8 DVD-BOX2相棒 Season8 DVD-BOX2
(2010/10/20)
水谷豊、及川光博 他

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相棒シリーズの個性的な脇役の一人である捜査一課の伊丹刑事はこわもてのいわゆる体育会系で論理とはおおよそ縁のないタイプだが、毎回見せる特命係との兄弟げんかのような小競り合いは非常に面白い。

第15話「狙われた刑事」では、その伊丹刑事が何者かに命を狙われる。10年前のある事件において非常に乱暴な取り調べをしていたことが仇となったのだ。

当時のことを思いだし自責の念に駆られる伊丹刑事は杉下右京に平然と諭されてしまう。その後、車の中で共に張り込みをする神戸尊との会話を聞き漏らすわけにはいかない。

神戸尊「さっき杉下さんにこう言いましたよね。『自分の気持ちは杉下警部殿には到底ご理解頂けない。』その言葉の意味を考えてみたんです。」

伊丹刑事「別に大した意味なんて。」

神戸尊「ここ何か月か、杉下右京という人間を見てきました。変人、窓際、人材の墓場、特命係も含めて様々な呼ばれ方をしています。しかし、少なくとも僕の見たところ、彼はある種の天才です。(伊丹刑事が口を大きく開けて顔をしかめる)天才は凡人には見えないものが見え、凡人には思いつかない方法を思いつき、そして必ず答えを導き出す。決して失敗も後悔もすることはない。」 

伊丹刑事「どうせおれは凡人ですが。」 

神戸尊「俺だって凡人の一人ですよ。」

現実世界では、天才だって間違いを犯すし答えを導けないことも多々あるのだが、「天才」の重みが痛いほど伝わってくるシーンであるのにかわりない。
神戸尊が言う、常人や凡人には見えないものが見える者とは、生まれながらに明確な一線を分け隔てる能力を持つ者のことではないか。後天的な環境や努力によって得られるものであればこれほど畏怖することはないだろう。

その能力が、生まれつき、先天的なものであることが天才の条件なのだ。

なお、伊丹刑事を演じる川原和久氏は現実世界でもコワモテだが実は神経細やか。客観的で冷静な自分に若い頃は悩んだこともあったという。「天才肌の役者さんが、うらやましかった。でも、全員が好き勝手だと、舞台や作品は成立しない。自分みたいなタイプもいていいんだ、と思えてからは楽になりました」(2008年10月18日朝日新聞朝刊TVフェイス)と語っている。

杉下右京演じる水谷豊が天才肌の役者なのかは分からないがそうであってほしい気もする。

第19話「神の憂鬱」(シーズン8最終回)では神戸尊が特命係に送り込まれ、杉下右京を観察してきた理由が明らかとなる。それは警察の在り方そのものを変えるほどの壮大な計画が背景にあった。その計画の実現のために杉下右京の天才的能力に白羽の矢が立ったのだが、そこにはある問題があったのだ。警察庁の幹部の一人が杉下右京に対してこう話している。

「ここ10年ほどで 次々に難事件を解決してきた君の経歴から見て、その捜査能力を疑う幹部はいない。だが、君には組織人としてかなり大きな問題があることも分かっていた・・・」

天才と言われるような人種は、いわゆる社会性が欠落しているものだ。ただ、何を持って社会性というのかよく分からないが、天才ではない人間が生き残る術のことを社会性と考えることができるので、天才に社会性を求めること自体が矛盾しているのである。

なお、杉下右京を演じた水谷豊は二枚目ではない芸能人だからもしかしたら現実世界でも天才なのかもしれないが、神戸尊を演じた及川光博のような誰が見てもルックスで得しているタイプの人種のこの才能自体は先天的な能力であることは確かだが、こういうのは天才とは言わないので注意してほしい。

DEATH NOTE (12) (ジャンプ・コミックス)DEATH NOTE (12) (ジャンプ・コミックス)
(2006/07/04)
小畑 健

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デスノートは名前を書いただけでその人を殺すことができるというノートを巡る推理漫画。死神が落としたデスノートを拾った主人公の夜神月は自分の周りの一切を自分の利益へと還元しようとする冷酷な秀才タイプ。対するは天才児を集めた孤児院で育ったエルとニアという二人の探偵。物語の前半部分はエル(20代前半ぐらい)、後半部分はニア(10代後半ぐらい)が夜神月と熾烈な頭脳戦を繰り広げるという内容だ。
とりわけエルとニアの卓越した知的才能と個性は終始一貫してかなり強調されて描かれている。二人とも自己中心的で何事も理詰めで考えるため周囲から理解されないことが多い。エルは甘いモノしか口にせず、ニアは常にパジャマスタイルでおもちゃ遊びをしている描写が満載だ。

デスノート最終巻である第十二巻ではついに天才少年ニアが夜神月を追い詰める。ちなみに、ニアの本名はネイト・リバーといって、natural(天然、生まれつき)の素質から今の立場にある天才型で、river(川)のようにエルから流れて繋がるという意味があるという。

我こそは新世界の神であると演説をする夜神月に対して、ニアは「あなたはただの人殺し・・クレイジーな大量殺人犯。ただそれだけの何者でもありません。」と一蹴。それでも、「ニア、間違ってるのはおまえだ。もう僕が正義なんだ。」と食い下がる主人公に対して、P143ではニアがこう言い返している。

「・・・・そうかもしれませんね。何が正しいか正しくないか何が正義か悪かなんて誰にもわかりません。・・もし神がいて神の教示があったとしても私は一考しそれが正しいか正しくないかは自分で決めます。」

自分の頭で考える。これこそが天才の定義の本命と言えるのではないか。普通の人は家系、感情、偶然、信仰など主観的で怪しいものを判断の拠り所にするものだが、天才は己の頭脳を酷使して真理探究を基盤としその場における最善の決断を追及し続ける。

判断の拠り所が根本的に違うのだから、なかなか共存できなくても無理はない。

DEATH NOTE (3) (ジャンプ・コミックス)DEATH NOTE (3) (ジャンプ・コミックス)
(2004/09/03)
小畑 健

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第三巻P94では、エルは椅子の上でも体育座りのように膝を抱えて座る自身の特異な座り方に関してこう語っている。

「私はこの座り方でないと駄目なんです。一般的な座り方をすると推理力は40%減です。」

天才には周囲の者から見ると違和感を感じるぐらいの癖、中にはこの人は大丈夫かと思ってしまうぐらいの癖の一つや二つは持っているものだがそれには理由がある。

それは結局のところ生まれ持った知的能力に帰結する。

知的な才能の無い者から見れば常識はずれの言動も、それは知的な才能を存分に発揮するために必要な振る舞い、リズムのようなもので天才にとっては意味があるものだ。知的な才能を持っているからこそ、それを持たない普通の人は、その言動に違和感を感じてしまうのだ。

一例だが、甘い物に含まれるブドウ糖が頭を使う際には必要とされるから、知的活動が活発な天才が偏食になるという具合だ。もちろん、極端な偏食は栄養学的によろしいわけはないが、現実世界でもチェスの大会などには甘いお菓子が用意されているし、科学者は運動と縁のない人が多いにも関わらず太っている人は少ないように思う。知的なエネルギーの消費が普通の人より多いからだろう。
ちなみにニアの英才学校時代のライバルだったメロはいつも板チョコをかじっていて、事件解決後に三代目エルとなったニアも前出の最終巻P193でチョコレートをかじっている。

また、天才は静かなところを好むことが多く、服装、おしゃれなどに興味を示さないことが多いのもすべてこれに由来する。服を選ぶこと、またそれによって変化する効用、作用も煩わしいと感じるわけだ。思考に悪影響が出るような、余計なことは極力省こうとする本能があるのだろう。

DEATH NOTE (7) (ジャンプ・コミックス)DEATH NOTE (7) (ジャンプ・コミックス)
(2005/07/04)
小畑 健

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P134では英才孤児院が描写されていて、友達から「ニアたまには外で遊ぼー」と誘われるニアだが、

「私はいいです。」

と一人でジグゾーパズルで遊んでいる。

交友関係、人間関係も知的活動の一環となればよいが、実際問題くだらない話や行いで逆にそれが阻害されることが多いため天才は孤立しやすいということだ。しかし、孤立は決して悪いことではない。むしろ、自身の持続的な知的活動のために必要な防衛手段であり、本人にとっては心地よいものなのだ。だから不登校も天才にとってはむしろ本人のためになるケースが多く、逆に友達と普通に過ごしたり学校に毎日毎日一生懸命通うことは拳銃や麻薬と同じぐらいの危険を伴うので注意が必要だ。

なお、このデスノートという漫画は国語のテストに扱われることはありえないが、天才児を把握するには中々の良書なのでまとめて読んでも決して損はないだろう。
DEATH NOTE (デスノート) 全12巻&別冊 完結セット (ジャンプ・コミックス)DEATH NOTE (デスノート) 全12巻&別冊 完結セット (ジャンプ・コミックス)
(2010/01)
小畑 健

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DRAGON BALL 21 (ジャンプ・コミックス)DRAGON BALL 21 (ジャンプ・コミックス)
(1990/04/10)
鳥山 明

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ドラゴンボール第21巻其之二百五十「孫悟空の宇宙船」P150~では、悟空の旧友であるブルマの父のブリーフ博士が登場する。ブリーフ博士はドラゴンボールの世界では偉大な科学者という設定である。

ドラゴンボールの主人公、孫悟空はサイヤ人という宇宙人で、生まれて間もなく地球を滅ぼすために地球へとやってきたのだが、その時の宇宙船の改造をブリーフ博士に依頼していた。というのも、ドラゴンボールの本場のナメック星では悟空の息子の孫飯と親友のクリリンそしてブルマの3人が死んだ仲間を生き返らせるために現地に行っていたのだが、フリーザという敵が現れ、大変なことになっていた。悟空は一刻も早くナメック星に行かねばならない状況だった。
ここでブリーフ博士が科学者の真骨頂を見せてくれる。出発を急ぐ悟空に対して、まだ宇宙船は完成していないと告げるブリーフ博士だが、スイッチを押すだけで6日後にはナメック星に着くという。何がまだ完成していないのかと慌てる悟空に対して、

「ステレオのスピーカーの位置がなかなかきまらんのじゃ・・どうせならいい音で聴きたいじゃろ? 最高の音で聴くには反射とかを考えるとなかなかむずかしいんだよスピーカーの位置は・・

そんなことはどうでもよく、ナメック星では大変な事態になっていることを説明する悟空。自分の娘まで巻き添えを食らうかもしれない状況を理解したブリーフ博士は、

「なんと確かにそりゃたいへんじゃ・・でほんとにステレオはいいんじゃな?

と最後までステレオの位置にこだわる。

推理モノに出てくる探偵は基本的に現実世界には存在しないが、現実世界に存在する科学者と接してみると本当にこのような感じである。TVやなんらかのイベントに出てくる科学者からは伝わってこないかもしれないが、大学の中やプライベートで科学者と接してみればよく分かることだ。
これは一般常識と言いたいところだが、さほど知られていない。これでは、ちょっと変わっているだけで子供を障害児にしてしまう親が出てきて当然なので、もっと科学者と一般人が何気なく交流できる仕組みが必要だと思う。

蒼天の拳 (1) (Bunch comics)蒼天の拳 (1) (Bunch comics)
(2001/10)
原 哲夫、武論尊 他

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蒼天の拳第1巻の第1話では東和女子大学校で先生をしている主人公とこの学校の創始者の令嬢である女生徒とのやり取りと、彼らを巡る学長と教頭の会話が面白い。

主人公が教室に入ると教室の黒板に「霞拳志郎先生へ 本屋での丸一冊立ち読みは慎んで下さい」と書いてあるのだが、主人公は鼻がよいためチョークを辿ってその落書きをした女生徒(令嬢)を突きとめる。なぜ、私とわかったのか理由を聞く令嬢に対して

「汗ですよ。汗に含まれる有機酸の割合は人によって違うのです。きみのはすこぶる特徴的なんですよ。」

と言って、「わたしそんなに汗くさいですか?これじゃもうお嫁にいけないわぁ」と泣かせてしまう。そしてなだめながらも「いやそうじゃなくて有機酸の割合がね」とあくまで学術的に説明しようとする。そして、最後は先生が責任を取ると令嬢のおでこにキスをする。

この現場を見ていた教頭はハレンチ教師は首にすべきだと学長に告げ口をする。しかし、学長は

「霞先生にその気があってこの縁談がまとまるのであれば当校にとっても大変おめでたいことです。じつは北大路様は霞先生との縁談を強く希望しておられて・・・」

次期学長の座を狙う教頭はこのままではまずいと、今度はあいつはドロボーであると主張する。なんでも、神保町の本屋から苦情が来ていて、1週間で千ページもある中国書を暗記して写本を作っているというのだ。それを聞いた学長は、

すごいわ・・・天才ねぇ!!」と満面の笑みを浮かべる。

この漫画は北斗の拳の作者によるその続編のようなもので、その内容は学術的とはおおよそ言えないが、このシーンは天才の特徴と、「天才」の定義が周囲の者の利害関係に左右される側面を持つことをうまく表現している。

何気ない会話でさえ、その特性ゆえに学術的にアプローチしてしまい、場違いかつ失礼なことを言ってしまうというのは現実世界でも十分にありえる話だ。
また、感覚過敏という準精神医学用語が存在するようだが、天才は神経が研ぎ澄まされているためか鼻、目、耳などなんらかの感覚器官が鋭いことがよくある。それから、とりわけ好きな分野であれば分厚い専門書の内容を細かに覚えていたりすることは容易い。さすがに、現実世界ではチョークから人間の汗の匂いを判別したり、千ページの本を暗記することは不可能ではあるが。

そして、主人公と令嬢の縁談を望んでいる学長からすればこの主人公は天才であり、次期学長の座を狙う教頭からすればこの主人公は邪魔者以外の何者でもないのでハレンチ教師またはドロボーである。ナイフは便利な道具だが、見方によっては人を刺すための道具となるのと同様、その者を天才と捉えるかアスペルガーと捉えるかは、その周囲の者達の教養、思惑、立場、利害によって見解が分かれるということだ。ここに科学などというものは一切無い。

教養、勇気、忍耐力のあるまともな人間であればその子供は天才なのだが、勉強不足なだけなのか性向のためかは分からないが手っ取り早い子供の成長を望む親と、生徒個人の幸せよりも画一的な教育を施すことが至上命題であり何事も平穏に事を進めさえすれば大万歳である教師達にとっては、その子供は障害児なのである。そして、そのお墨付きを与えるのが社会の厄介者処理業者の精神科医である。

GetBackers奪還屋 (7) (少年マガジンコミックス)GetBackers奪還屋 (7) (少年マガジンコミックス)
(2000/08/08)
青樹 佑夜、綾峰 欄人 他

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無法地帯と言えばただ単に治安が悪い場所に使われることが多いが、かつて、香港には九龍城といって、どこの国の法律も適用されない真の無法地帯が存在した。香港というとアヘン戦争を連想してしまう人が割合多いと思われるが、イギリス、中国などが絡み複雑な歴史を持っている都市だ。その香港の九龍城をモデルとした無法地帯、無限城を治める理工系の天才少年がこの漫画に描かれている。

ゲットバッカーズ第7巻P29では、その無限城をかつての仲間がいる時代へと戻そうと企むマクベスがパソコンを膝の上に置き、人間工学、遺伝子、プログラミングなどの専門書物に囲まれながら楽しそうに語っている。

システムを開発してるんだよシド・・人間の運動機能を司る脳の仕組みをコンピュータ上でシミュレーションするシステムなんだ・・地球の動物のシンカの頂点にある人間のDNAには・・それらの部分は休眠遺伝子といわれ・・たとえば6500万年前に滅びた恐竜を蘇らせたいなら・・ボクの推論によれば・・

この理論自体はやや屈折した人間の発想であり、現実世界では理論上不可能なのだろうが、とにかく世間一般ではまかり通らない小難しい話を楽しそうにしている天才少年と、理工系の世界を把握するにはもってこいの描写だ。

理工系とは簡単に言えば、物理学、化学をはじめとする自然科学、理科に熱烈な興味を持ち、それを高度な数学を用いて理解し、何かを創造していく人たちの世界のこと。仕事の世界では彼らと同じ土俵で戦ってはいけないと一線を画する存在として扱われることも多く、今後、ますます重要になる花形人材である。というより、この人たちがいればすべてにおいて事が足りてしまうのが現実なのだが。
有名所では、アインシュタインやエジソン、日本人で言えば、田中耕一、ドクター中松など。トヨタ、ソニー、資生堂、ハウス食品などの大企業に所属する研究者や、理工系大学の教授なども理工系の人間だ。

脳科学や遺伝子レベルで人間の生まれながらの才能を解明することなど、少なくとも現在の科学力では到底不可能なことであるが、子供の頃から問題児として扱われる者は理工系に秀でた才能を持つ者が多い。
文系科目、芸術、スポーツ、芸能などはその才能が理解されやすく親しみやすいことも多いが、理系科目となると、日本ではなかなか理解されない。これは、一流文系大学出身の親にも言えることで、とにかく、よくこんなことで技術立国などと言われる国が運営できるものだなと思ってしまう。高度成長の時代に求められる人間の才能など理系の世界であろうと大したことがなかったのであろう。

秀麗秀策 (囲碁古典名局選集)秀麗秀策 (囲碁古典名局選集)
(1992/02)
福井 正明

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 福井正明
人類で最も将棋の強い人は誰かという質問の答えは羽生善治で全会一致なのだが、囲碁の場合は意見が分かれる。その一人として常に名が挙げられるのが本因坊秀作。漫画ヒカルの碁にも登場した人物だ。

本書は基本的に棋譜集であり相当な囲碁の棋力がなければ楽しめない本だがP8では秀策が三、四歳の頃、どんなに泣いても碁石を与えるとすぐ泣き止み、父が叱って押し入れに入れたものの泣声が聞えなくなったので様子を見ると、しまっていた碁盤に碁石を並べて遊んでいたというエピソードが収められている。
なお、秀策の母が碁を教えたのは五歳のときで、六歳の時に商用を兼ねた父に連れられて相撲見物に向かったが、父が取り引き先の番頭と話をしている間に、秀策は石音に引かれて奥座敷に入り込んだ。碁盤の横に座って動かず、父は一人で相撲を見に行ったというが、このときの対局者の一人が、のちに秀策の終世変わらぬ後援者となった橋本吉兵衛だった。

本当に好きなこと、すわなち、自分の才能を活かせるものに巡り合えたとき、問題児は天才児に変わり、それと同時に生活態度も改善していくものだ。

逆に言えば、自分の才能を活かせるなにかにめぐり合えないとアスペルガーの世界に迷い込んでしまうのだ。なお、子供の才能を活かせるかどうかは本人次第でも教師の責任でもなく、親の責任である。

もっとも、好きなことを研究するとは言え、基礎学力は必要である。日本語が読めなければ好きなことに関する本を読めない。宇宙や電気が好きでも数学ができなければそれを理解できるはずもない。技術者になったとしても英語ができなければ英論文で書いてある最新技術を知ることはできない。
だから、英才教育は好きなことだけやればいいというわけではなく、それを基盤として国語、数学、理科、社会などの基礎的な勉強と相互発展させていくことが重要なのだ。

しかし、それを必ずしも学校の授業で習得する必要はない。それができれば苦労はないが、とりわけ義務教育の授業などは英才教育の視点からすればもともと低俗極まりないもので、そもそも時代の流れにより消費期限が切れた代物だから、誰のためにもなっていない。
なお、公O式などの塾は先取り教育でそれなりに有名だが、あれは何も考えずに問題を機械的に解くだけで、おおよそ知的な能力に秀でた人間のための英才教育とは言えない。将棋の羽生善治はこの塾のCMに出てしまった。第一人者として世間一般に極めて優しい羽生善治に責任は全くないが、彼の唯一の汚点と言えるかもしれない。

自分の部屋で本を読んで、分からないところを専門知識のある人に聞けばよいだけの話ではないだろうか。

天才の秘密天才の秘密
(2009/10/09)
M. フィッツジェラルド

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著者はM.フィッツジェラルドというアイルランドのトリニティカレッジの児童精神医学教授。そして訳者は井上敏明という日本の心理学者で、アスペルガー児を天才児と肯定的に捉えている数少ない精神医学関係者。
本書は歴史的に有名な作家、哲学者、芸術家を後付けで精神医学的に分析したものだ。このような精神医学上のアプローチを病跡学というがヨーロッパではかなり盛んなものだ。これは日本ではほとんど存在しない。そもそも日本には世界に誇る歴史的偉人が少ないということもあるが、やはり精神医学の範疇であろうとも天才の存在を認めることに日本という国はなにかと都合が悪いのであろう。
もっとも、この研究は実に怪しいものにならざるをえずおおよそ科学、学問とは言い難い。また、その対象とされた偉人の子孫やファンからすれば非常に不愉快なものばかりということになりやすい。それに、歴史上の偉人だけがアスペルガーであると一般の人に誤解されやすい。だから、この手のものは真に受ける必要は全くない。歴史に残る業績を挙げるかどうかは別問題として、それに先天的に秀でた人はそうでない人に比べて変わっているものだぐらいで十分である。当たり前のことをわざわざ誇張して学問にする必要はないのだ。このあたり、いかにも精神医学らしい。

なお、本書をここで紹介したのは、むしろ井上氏を紹介したかったからだ。井上氏は本書の訳者あとがきP309においてこう語っている。
「私たち共訳者が共通して思っていることは、アスペルガー症候群の人が空気を読めない人でヒューマンスキルが不足した適応障害者で、かつ時には、突拍子もないことをしでかしかねない人として見られている日本の現状を打破するのには、アスペルガー症候群は天才を生む素質となりうるとするパトグラフィ書物を、この世の表舞台に出すことが重要ということである。このことを日頃の臨床で痛感していたことが、翻訳へのモチベーションとなったのである。」

パトグラフィとは病跡学のことだが、つまり井上氏は欺瞞とも言えるアスペルガーをめぐる日本の精神医療の現状を嘆くだけでなく、これで打破したいという思いが存在するということだ。何事も興味関心、意欲こそ最も重要なことで私は井上氏の思いを尊重したい。ただし、結論から言えばそんなことで打破できるなら苦労はない。
そもそもアスペルガーなどと言っていること自体がおかしいのだから本気でなんとかしたいと思ったなら心理学や精神医学の世界から身を引かねばならないはずだ。そのような世界の存在自体が、天才という邪魔者を排除するための機関と言われても仕方がないのが現実だからだ。ここに身を置いていては天才の才能を開花させる手助けなどできるはずはないのだ。

天才脳は「発達障害」から生まれる (PHP新書)天才脳は「発達障害」から生まれる (PHP新書)
(2009/06/16)
正高 信男

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京都大学霊長類研究所教授の正高信男による日本人の偉人伝。脳科学を母体とするこの本の内容に疑問がないわけではないが、南方熊楠の章のてんかん病巣が集中力を生みだすという見解は非常に新鮮で興味深かった。

天才脳は「発達障害」から生まれるというタイトル通り、正高氏も井上氏と同じく、アスペルガーから天才へと昇格させる気概のある数少ない論客なので是非とも覚えておいてもらいたい。

非属の才能 (光文社新書)非属の才能 (光文社新書)
(2007/12/13)
山田 玲司

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著者は漫画家の山田玲司。小学校のときはノートをまったく取らない子供で、家庭訪問のとき、先生が「こんな子ははじめてです」と頭を抱えていた光景をよく覚えているという。なんでも、漫画のアイデアを書き留めたり詩や散文を書いたり、「人生とは何か?」なんてことを考えたりしていて暇がなかったらしい。
そんな著者は、日本社会に張り巡らされた天才排除システムを感じ取る嗅覚は一流でそのシステムに警笛を鳴らしている。日本の学校で求められることは「考えない」ことであり、「疑問を持たない」ことであると一刀両断し、「学校嫌い」は才能のサインと言い切る。それがタイトルの「卑属の才能」ということだ。

また、著者は「天才」という言葉は歴史上に残るような一流の人にのみ使われるものだと解釈しているようで、卑属の才能であれば誰にでも存在すると考えているようだ。これは天才と凡人の間ぐらいなら誰でも卑属の才能を活かし生きていけるということだろう。
そして様々な業種の賢人がこれでもかと多数紹介されている。中でも著者の心の師匠でもあり、仏像でお馴染みのみうらじゅんの女装ブームと杖ブームが同時に訪れたときは女装して杖をつきながら街を歩いたというエピソードには抱腹ものだ。表現方法は漫画家ならではでこういう視点からも十分楽しめる。

もっとも、アスペルガーという単語は出てこないし漫画家という職業柄仕方ないのだが、その主張は学術的とも戦略的とも言い難くまとまっているとは言えない。しかし、「卑属の才能」は「アスペルガー」と言い換え可能であることは言うまでもなく、著者であれば卑属の才能が障害扱いされる現状に断固として異議を唱えてくれるだろう。

一流の人は空気を読まない (角川oneテーマ21)一流の人は空気を読まない (角川oneテーマ21)
(2008/10/10)
堀 紘一

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著者は一般の人にはあまり知られていないが経済界では一目置かれる堀紘一。“未来のホンダやソニーを100社作ろう”をスローガンとしたコンサルティング会社ドリームインキュベータの創業者であり現在は会長を務めている。

実現には全くと言っていいほど至っていないのだが、その壮大なスローガンからも想像できるように堀氏の経歴も凄い。転職自体が白眼視される時代に読売新聞、三菱商事、ハーバード大学留学、ボストンコンサルティンググループと渡り歩き、現在に至っている。

出身大学は東大法学部だが、入試の際のエピソードが非常に面白い。まず、高校三年生になる前の春休みに東大を受けようと決めたという堀氏だがくだらない受験勉強を二年もやりたくないということで、まず過去問題10年分を神田の古本屋街を三日間歩き続け100軒ほど回ってようやくそれを入手する。そして、それを分析するのにさらに三日を費やす。
そこである規則性に気づいた堀氏は東大の先生にアポを取って教科別に直接聞きに行ったという。
数学に関しては当時は数Ⅲで学ぶものだった微積分の問題が出されていることを突き止め、教師に一学期分だけ特別に授業を受けさせてほしいと頼んだという。ネットや携帯電話が当たり前になり、学習塾による入試戦略が当たり前になった現在ではありえない話だが、この行動力は尋常ではない。

ただし、勘違いしないでほしいのは、堀氏は筑波大学附属高校の出身であり、父親は外務省出身でイギリス大使館公使やプロ野球パリーグ会長も務めたこともある人だから、とりわけ文系科目に関しては家庭自体がエリート校のようなもので、勉強の素地が十分すぎるほどあっての東大合格だということだ。もっとも、だからといって、ここまで試験問題を独自に分析して行動に移すというのは訓練によって得られるものではない。堀氏は並みならぬ才能に恵まれ、それを育む環境にも恵まれたということだ。才能を活かして生きるというのは先天的才能と後天的環境の両方に恵まれていないといけないのだ。

本書は偉人伝ではなく、堀氏の経験を基盤としたビジネスにおけるノウハウ本といったところ。しかし、日本における天才排除システムに警告を鳴らすという意味では上述した「卑属の才能」の著者と変わらない。ただし、堀氏の場合、空気を読むことに長けた日本人の性質を国民性を先天的なものと捉えているようだ。これには賛否両論あるだろうが、堀氏の言うように戦後の経済成長を支えた画一性社会では日本が沈没してしまうのは時間の問題であり、独創性やアイデアが問われる時代では空気を読まない人間が重宝されるのである。

空気が読めないを略してKYであるが、これは「卑属の才能」と同じくアスペルガーと置き換え可能である。それにしても、アスペルガーなどという言葉が全国的に出回っているということは、日本が新しい時代に突入したことを受け入れることすらできていない証拠である。先が思いやられる。

変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件
(2007/12/07)
樋口 泰行

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著者は前出の堀氏と同じで一般の方には馴染みが薄いが経済界では非常に有名な樋口泰行。阪大の電子工学科を卒業してから松下電器を経てハーバード大学でMBA取得後、ボストンコンサルティンググループ、アップルコンピュータ、コンパックコンピュータ、ヒューレット・パッカード社長、ダイエー社長、マイクロソフトCOOと渡り歩いてきた人物。本書はダイエーの再生を中心したビジネス書、啓蒙書。変人力とは変革を導く力のことだ。

中内功が創業したダイエーは、価格破壊を基盤として成長路線を突き進む大量生産大量消費時代を象徴する存在だったが、同時に時代の変化に伴いかつてのやり方が通用しなくなったにもかかわらず変われずに衰退していく古典的パターンの教科書的存在でもある。それを樋口氏の変人力によってなんとか再生しようというわけだ。
もっとも、大量生産大量消費が通用しなくなりさらなる経済成長を成し遂げようというのであれば付加価値を付けた製品を開発するしかない。だから、ダイエーのようなコモディティ業界はいかなる変人力をもってしても限界があり、改革も何もありえない感は否めない。したがって、実質お客様不在の時代における中内氏の強力なトップダウン経営によって侵されたダイエー社員の大企業病を治癒するぐらいのことが改革となってしまう。このような改革は再生というより延命に終わりかねず、中長期的には早く潰しておいた方が被害が少なかったということになりかねない。そして、アスペルガー問題の解決という次元からするとやや物足りなく、それぐらいで変人の称号を名乗ってよいものかという反論を許してしまうのが現実だ。「変人」も「アスペルガー」もこれぐらいのレベルで使われるようになってほしいものだ。

それでも樋口氏は、「変人が本当に非常識なのかと言えば、決してそうではない。むしろ、非常識なのは多数派の人たちで、後になって考えてみると変人こそが正しかったということは実に多い。」など多数の訓戒を示してくれている。
そして、これまでの日本企業では変人力はあまり必要とされてこなかったが、これからは逆に破壊と創造の両面から改革を起こせる人材が最も必要になってくると論じている。

「変人力」もアスペルガーと置き換え可能である。今後、樋口氏も想定していないようなことが日本で続々と起こるだろう。変人の樋口氏もびっくりするぐらいの変人がありとあらゆる分野において大量に求められているのが今の日本である。

クリエイティブ・クラスの世紀クリエイティブ・クラスの世紀
(2007/04/06)
リチャード・フロリダ

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著者はリチャード・フロリダという地域経済開発論を専門とする米国の大学教授。訳者はクリエイティブなまちづくりを手掛ける井口典夫・青山学院大学教授。
本書は米国の経済書であるが、脱工業化時代において中心となる人種をクリエイティブクラスと命名する。脱工業化時代における経済はなにかと付加価値が求められるという類の話は経済学者やエコノミストの数だけ存在するといっても過言ではないほどまでになってきているが、そこで活躍するであろう人種自体に命名することはほとんどない。そういう意味でも「クリエイティブクラス」は非常に貴重なものだ。
具体的にはクリエイティブクラスとは科学者や芸術家を中心に知的才能を発揮して生きる人種のことだ。興味深いのは著者がP45において「知識労働者」という概念に対してこれを創出した点と、すべての人間がクリエイティブでこの手の労働者をさらに広げることが現代の課題と考えていることだ。
「知識労働者」の定義も明確ではないが、生まれ持った資質に加え試験秀才的要因も多く含んでいる感が否めない。著者はこのあたりを嫌ったのだろうか。クリエイティビティの資質は受け継いだり、伝統的な意味で所有できたり性別、人種、民族性、性的指向や外見には関係ないとも述べていることからもそう受け取れる。つまり、「クリエイティブクラス」とは生まれ持った能力にこだわった単語ということだ。しかし、すべての人間にこれを該当するとなると、料理のうまい主婦やちょっとしたバンド活動やベーゴマの愛好家ですらもクリエイティビティとして評価せざるをえなくなるだろう。非常に幅広く捉えれば、すべての人間が天才ということになるのかもしれないが、このあたりは永久に解決しない問題なのだと思う。

なお、米国という国は英才教育が完全に機能しているかと言えば決してそんなことはない。もちろん、日本よりははるかに充実していることは確かだが米国にもアスペルガー児はたくさん存在する。米国にも、ちょっと変わった子供に「お前はちっともパーティーに呼ばれないじゃないか」と本気で怒ってしまう恥ずかしい親もたくさん存在するのだが、日本の没個性という側面からアスペルガーという言葉を使うのではなく、製薬会社などによる拝金主義の犠牲になる子供にアスペルガーという言葉を使っているような気がする。

「天才」、「アスペルガー」も対象が人間であり、厳密に定義できるわけがないから、それを試みようというなら考え続けるしかない。

いずれにせよ、精神医学用語を幼い子供に用いているようでは幸せになれない。

結局、そこが一番重要だろう。
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.13 2011 アスペルガー comment0 trackback0
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プロフィール

藤家孟志(ふじいえたけし)

Author:藤家孟志(ふじいえたけし)
アスペルガー問題を研究している一般の男です。

この研究を基に、アスペルガーの世界に迷い込んでしまった人を一人でも多く普通の世界に連れ戻すことができたら幸いです。

何かありましたら  fuzietake@gmail.com  までよろしくです。

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